一〇年以上前であれば、大学受験をやめるのなら働けと親に尻を押されて必死に勉強し、疲弊した受験生か相談にくることはめずらしくなかった。ところが最近では、受験に意欲を喪失しても働くわけでもなく、家にひきこもっているという受験生か時々みられる。そんなビート的受験が許される時代となった。親としても強くものをいえなくなっているようだ。予備校をやめ、本格的にニートになるよりも、予備校にいるだけでもありかたい、という風潮すら感ずる。また、忙しさのために本人にほとんどまかせっきりという親もいる。束縛されない自由な環境は受験生にとって不都合ではない、しかし、大事な場面で「こうしたほうがよい」という親の示唆は必要ではないだろうか。本人の反発を避けるためか、親は自分の価値観を子どもに伝えなくなった。希薄になった親子のコミュニケーションのなかで、自由をもてあまし、虚しい思いにとらわれている受験生も目立つ。つまり、社会や家庭が示した若者への理解が、彼らの悩みの幅を広げ、思春期の葛藤の延長戦が受験期にも行われるようになったといえる。これは、親が気を配りつつ接しなければ、子どもたちが激しく衝動的に反応してしまうという事実の裏返しでもあろう。