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先生が生徒以上に優秀でなければならない

決して高学歴イコール立派な人間と言っているのではない。学力があることが教員の最低限の条件という考えから、学力について話しているのだ。学力不足と思われることのないよう努力してほしい。私は、頭の良い子供を育てるためには、先生が生徒以上に優秀でなければならないという持論がある。何といっても、先生方自身の指導力の向上、学力向上ができなければ、優秀な子供は育てられないと思う。先生には、子供の才能や可能性を見抜く力やそれを伸ばす指導力は絶対必要な要素である。幼少の頃は、ボーッとしていて、他の子供と比べて少しおかしいのではと心配したような子供でも、後々学者になったり、有名な画家や音楽家となったりすることもある。子供の可能性を発見することは、頭の良い子を育てるために非常に大事なことである。教師は将来ある子供のために役立っていかなければならないと思う。今こそ、教師の質の向上と学力向上が急務であると考える。と同時に、優秀な人材が教配職に集まるような施策が必要だ。フィンランドは教師になるのが極めて難しい。教師になるための大学に合格するには、10倍以上の競争を勝ち抜かなければならないという。しかし教師の待遇は良いという。国はこのようなフィンランドの例なども参考にして、真剣に考えてほしい。

出題傾向を意識するのは受験勉強の最終段階

大多数の子供や親は早い段階から志望校の出題傾向を気にします。たしかに子供たちはその学校の入試問題を解いて合否を競うのですから出題傾向に敏感になるのは当然ですが、出題傾向が影響するのは受験勉強の最終段階です。受験国語として学習すべき内容は決まっており、どの学校に進学しても入学後に「国語」として勉強する内容にちがいはありません。そして六年後にはみな同じ高校一二年生として大学受験にのぞむのです。塾の説明会や特別授業などで「A中学の出題傾向」「A中学の合格対策」などと具体的な学校名が銘打たれると、非常にリアルで即効性のある印象を受けますから、だれもが魅力を感じるとは思います。しかし実際には出題傾向を意識する段階に到達するまでが大変なのです。少なくとも国語では記述答案の適切な自己採点と、問題集やテストの模範解答ミスが発見できるレベルでなければ、出題傾向を意識してもあまり意味はありません。

大昔の徒弟教育の発想

いまは「発展」という形で、もう少し難しい計算が復活しましたが、あくまで「発展」であることにかわりありません。ここで問題とすべきことは、電卓があるから計算問題は不要なのかという点です。日本人の強みというのは、外国人にくらべて計算が得意で、たとえばショッピングなどのとき、おつりの計算もすぐできてしまうことにあるとされています。インドのように「一九×一九」の掛け算を暗算させるような国のほうが数学に強いことは、経験的に無視できないことです。計算が脳の働きによい影響を与えることについては、いくつも傍証があるのです。そう考えると、計算は軽視してはいけないわけです。計算は電卓でいいというのは、使わないものは習わなくていいという考え方と同じです。これは大昔の徒弟教育の発想とまったく同じで、あまり賢明なものとはいえません。


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